2011の総括は!

今年2011はこれに尽きる
ことしは、もうこれに尽きます!
我ながらいろいろやってきました。
ミニスカサンタもあったし、浴衣、ムームー、よその店にもLIVEしに行ったり。

でももうこれが秀逸ですよ!
よく似合ってます。我ながら感心
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女傑の母そしてその夫

女傑の母にも夫はいたわけで・・・・・

私にとって父は静かで酔っ払っていてタバコの匂い。

「お父ちゃんのにおい・・たばこやな。」
ピースの缶入りを愛用、裏(大阪日本橋の高島屋東別館)の松坂屋にそれを買いに行った。

寒い日、せの高いい火鉢のまえに座り「産経新聞」を読む父
酔って帰って寝ている子供を起こして、説教をたれる。

癌もだいぶすすんですっかりやつれた療養中の父。
ベッドに寝かされシーツをかけられた父。

あんまり格好の良くない父ばかり出てくる。

私がもの心付いたころはもう病魔に冒され、
深酒をして荒れていた、ダンディーでもなく、
無精ひげで伏していた浴衣姿の父。

帽子掛けに掛かったままのソフト帽だけが、ダンディーの名残でした。

「ちーーちゃん、ええ子やな!だれにもやらへんでーー」
父に溺愛されたから、私はこんなにわがままになった。と母がよく言ってた。
私は知らんチューーに!記憶におまへん!

父の顔を書いて無精ひげを、点々と書いて見せたら、
「あかんなーーひげ剃るわーー」
布団に座って髭を撫でていたのが最後の動いている父の姿でした。

阪大病院、今の中之島電気科学館辺りにあった、殺風景な病室が最後。

私と弟達は病院の入り口の車乗り入れの坂で、すべりんこをしているとき、
「お父さん、亡くならはったで、賢うしなはれや・・」と病室につれていかれた。

誰の声もなく、静かだった。
あの母も泣いていなかった。
みんな覚悟はできていたからなんだろう。

1年か2年か思い出せない、2度の入院と療養生活があったはず。
南海電車の北野田という所で離れを借りて療養した時があったはず。

父と母のやり取りは夫婦喧嘩で、母が泣き喚く声しかない。
父の声は思い出せない。
なんと言ってたんだろう?

かくして、我が母は女傑にならざるを得なかった!!

父の49日の弔いが終わるまで、
夜中に母の泣く声を何度も聞いた。

聞かないふりをして寝たままじっとしてるのも「賢い子」なんだと思って我慢した。

私は父の妹に似ているそうで、そろそろ90になるおばが存命。
昨年お盆にあった時、深夜洋画を見て、
遅いモーニングを食べに行くのが日課。
相変わらずのヘビーースモーカーで酒豪ですが、弱くなったとなげいていた。
私も、父もそのおばもみんな一緒や!と母が言っていた。

女の一生

モーパッサンではありません。
文学座の作家森本薫のです。

あの大女優杉村春子の名演。

私の母が一番好きな演目でした。
東京まで何度も観に行ってました。

今日、読売新聞に出ていた記事を見て母を思い出した。

「おかあさんは女傑どす、えろおすで~~」

お手伝いの京都出のばあやが口癖のように言っていた。
早くに父がなくなり女社長としてかなりのやり手の母が腹立たしかった。

子供は使用人に任せっぱなしで、きれいな着物をとっかえ、ひっかえの
忙しい母が、どんな気持ちでいるのかさっぱり分からず
とことん反抗していました。

兄や弟たちは従順で一切母には逆らわず、一人娘の私だけが問題でした。

あの時代だから、まだまだ正装は着物、何枚かをかばんに入れて東京出張。
夜行列車ツバメに乗る母を、店の番頭と見送りに行ったときは大泣きしてしまい、
それから二度と見送りは行かなかった。

東京出張もいつも突然に決まる、「今からいくで!」「えっ!」

列車に乗ってから寝台を確保、車掌に裏から手配させていた。
まるでマフィヤか・・・・
九州別府に連れて行ってもらったとき、その手口をみて驚いた!
でも、子供にはいまいち分からず中学くらいの時に
ものすごく嫌悪感を持ったのを覚えている。


そんな母の大好きだった「女の一生」
杉村春子の名演もあって、強く生きる女の一生はなんたるかを
力強く明るく声高らかに歌い上げた素晴らしい作品。

それを現勘三郎の姉、波野久里子が新派で演じる。
芝居は好きでも、歌舞伎の家系で女は継げない。
なら新派で!芝居をと名女優水谷八重子に弟子入りした人。

きっといいだろうなーーーー!
幕切れ前の最後のセリフ

「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩きだした道ですもの!」


女傑だった母の生き様やったんや!今頃わかった・・・・・・

ながーーーいご無沙汰ごめんやす!!

今年は明けてそろそろーーって時にあの大震災。
人生ってほんと悲しいね!!
でもね。
このごろふっと思うのね!生きてるだけで丸もうけーーーー!

色々あるけどさーーー。
生きてりゃ色んな事に出会うじゃない。
懐かしい人に会ったり、
イヤだった奴に文句いったり、
あのときの弁解したり、
あのしくじりの言い訳したり


なんとなくやり直しができるやん。

生きてんとあかんねや!!

お盆になっていまさらやけど、
憎たらしいけど
おかあちゃん!!あんたの生き様は凄かった!!
生きてたら91やね!

東北沖地震

「2011年3月11日の地震津波による被災者の皆様には
心からお見舞い申し上げます。
音やとして、私個人としても、出来る事は最大限協力させて頂くと共に
関西が気力を失わぬ様心掛けて行きたいと思っています。
当面のスケジュールは、差し障りのないものは全て予定どうり行なってゆきます。
被害に遭っていない者として、広く、長く支援し続けていきたいと思っております。
皆様におかれましても、それぞれのライブで主催者が呼びかけました折には
是非ともご協力頂く様お願い申し上げます。」


このように意思表明することで、逆に私が勇気をいただきました。
賛同していただいた皆様有難うございます
自分の考えをほめて貰えるってこんなにもうれしいなんて、
それがそのまま、やる気につながるなんて・・・・・
この歳でまたまた気づかされました

元気になったんで、被災された方々のお役に立てるよう頑張れます
先は長いぞ

がんばろう日本